「グローバル・エイジ」のリーダーからの提言

ジャイロ経営塾代表
ワイ・エイ・パートナーズ株式会社代表取締役
秋元征紘(あきもとゆきひろ) 2011年2月16日

日本企業がグローバルに躍進するために、人材・組織戦略としてなにが必要なのか。
 
(株)ナイキ・ジャパン、ゲラン(株)など外資系企業4社で経営トップを歴任された秋元様に、そのヒントをお示しいただきました。
カーネル・サンダース、フィル・ナイトなど著名な経営者との仕事を通じて得られた、「ピープルズビジネス」「感情的な絆」などの経営哲学のエッセンス。

今まさに世界へ勇躍する企業の皆様に、ご参考にしていただければと思います。

ニューチャーネットワークス 張 凌雲

(本稿は、2011年1月19日の弊社賀詞交換会で秋元様にご講演いただきました内容を基にご執筆いただきました。)

ご紹介いただきました秋元です。さっそく本題に入らせていただきたいと思います。
お時間の都合もあるようですし、この後に賀詞交換会もありますので皆さんの気分が乗るくらいのところでやめておこうと思います。
 

■はじめに

簡単にプロフィールを紹介させていただきますと、キャリアの最初の10年間くらいは日本精工(NSK)の海外事業部門に在籍、その間にニューヨークとトロント駐在が8年程でした。
 
その後1980年から93年までケンタッキーフライドチキンに。創業して10年くらいの日本KFCで、売上300億円くらいの時代から、私が辞めた93年には二部上場を果たして、グループ売り上げが1,480億円くらいの規模になった、そういう大成長時代にちょうど14年間くらい在籍しました。たまたまなのですが売り上げも利益も二桁で増えて、店も300店から1,050店になるという、そういう時代の日本KFCを経験しました。
 
それから日本ペプシ・コーラ。日本KFCは三菱商事とKFCの合弁会社でした。アメリカ側の親会社はM&Aの結果、ヒューブライン、R.J.レイノルズ、ナビスコと変遷、最後の株主がペプシだったわけです。実は87年頃シドニー大学留学時代の友人から私に、日本ペプシ・コーラ副社長のお話を頂き、いろいろ検討の結果断ろうとしていたところKFCがペプシに買収されるという事件が起こりました。結果としてやむなく日本KFCから日本ペプシ・コーラに出向することとなりました。
 
1993年からナイキ・ジャパンで2年ほど社長を務めさせて頂き、その後LVMH(Moët Hennessy‐Louis Vuitton)グループのゲランでは11年間の社長・会長を務めさせていただきました。
振り返ってみますと日本の企業の海外オペレーションを10年、そしてアメリカの企業との合弁会社あるいは日本法人での10数年、そしてヨーロッパ企業の日本法人での11年といったキャリアです。
 
今日のテーマは「グローバル社会で生き残る会社と人材をつくる」ということで、出来るだけ実体験に基づいた「学び」をベースに、このテーマにそって私たちのご提案のお話をさせていただきたいと思います。
 
 
このようなキャリアを通じて私にとって非常に幸運だったことは、4人の世界的な成功を収めてた中興の祖、あるいは創業の社長と直接仕事をするという機会を得る事ができた事だと思います。そしてその前に10年間在籍した日本精工(NSK)では、当時財界四天王の一人と呼ばれた今里廣記社長にご指導いただいていたわけですから。
 
 
このような体験を通しての学びの中から4つほどエッセンスを申し上げたいと思います。
 
まずはKFCの創業者のカーネル・サンダース。この人からは「人は感情的な動物・理屈のみでは動かない」。 
そしてペプシ・コーラの中興の祖でありのちにペプシコの会長になった、ロジャー・エンリコ、彼からは「ビッグ・アイデア/新結合による創造的破壊」のすごさを学びました。
そしてナイキの創業者社長のフィル・ナイト、彼からは「消費者・社員との感情的な絆の構築」が大切だということを学んだと思います。
そして更にLVMH(モエ・ヘネシー-ルイ・ヴィトン)グループの創業者社長のベルナール・アルノー。このグループの傘下にゲランも買収され、その最初の日本法人社長をやらせていただいたわけです。彼からは「創造的な情熱と規模の経済・規模の不経済」というコンセプトを学びました。
 
 
この4つの学びについては本にも書かせていただきましたし、講演等でもお話させていただいています。少し手前味噌になって申し訳ありませんが拙著が3冊ほどございます。この講演内容の詳細にご興味のある方は是非拙著も併せてご参照いただければ幸いです。
 
2008年に『「ジャイロ経営」が社員のやる気に火をつける-パッションカンパニー-』(ファーストプレス)という本を書かせていただきました。2009年には『こうして私は外資4社のトップになった』(東洋経済新報社)が、そして昨年は『一流の人たちがやっているシンプルな習慣』(フォレスト出版)が出されました。そして本年5月にはもう一冊、国立ウェールズ大学MBAの田所邦雄教授との共著で、本日の講演内容に沿った内容のものが上市される予定です。出版社の編集のご担当者が今日ここにお見えになっていますので、あとでパーティのときにもご紹介できると思います。
 

■KFCについて

*人は感情的な動物・理屈のみでは動かない

                       ・・・カーネル・サンダース/KFC

そのエッセンスだけでお話させていただきますと、カーネル・サンダースは、日本ではKFC店舗の前に立つカーネル人形で有名ですが、実はフランチャイズシステムやファーストフードの生みの親でもある非常に古い経営者。彼がKFCを始めたのは彼が64歳になってから、そして亡くなられたのが90歳。ちょうど私は亡くなられる年、1980年にお目にかかりまして、その時の記憶はいまでも鮮明です。このメッセージは、実はその時の体験が強く影響しています。
 
アメリカではファーストフードという事業コンセプトはKFCとマクドナルドがつくったといえます。そしてKFCの展開したフランチャイズシステムは60年代から70年代には「米国においてもっとも多くの百万長者を生んだ」と言われていました。
 
しかしシステムがあまりにも大きくなった結果、よく起こる事ですが、一種の大企業病に陥ったのです。これはフランチャイズシステムは、決してマネジメントの簡単な商売ではないという証明でもあると思うんですが、システム全体のオペレーションレベルが急激に低下して、テレビ広告や販売促進でお客の訪店を促すわけですが、実際に店舗に行ってチキンを購入してみると、お客の期待を実現できないという状態になっていた。これを原点回帰で再生しようということになったんですね。
 
そのときに、のちのフィリップ・モリスの会長になったマイク・マイルズという社長が、Q(クオリティ)、S(サービス)、C(クリーンリネス)、V(バリュー)、OOF(アザーオペレーティングファクターズ)、A(アドバータイジングメント)、M(マーチャンダイジング)、P(プロモーション)といったKFC事業を構成する重要な要素を全て原点回帰させようとした訳です。しかし「原点回帰」というのは言葉では簡単に言えるんですけれども、実際にそれを数千店、当時アメリカでたぶん4,000店を超える店舗数だと思うんですけれども、それを一気に直すというのは非常に難しい。
 
そのときにマイク・マイルズは、すでにリタイアしていたカーネル・サンダースを呼び戻して、その創業の父カーネルに「原点に戻れ」と言わしめた。これが「Back to Basics」というキャンペーン、これをカーネル自身が全世界を行脚して、説いていった訳です。
 
 
1980年、丁度私が日本KFCに入社した年にカーネルは2度目の来日をしました。すでに89歳を過ぎていた彼は、しばしば車椅子を必要とする状態でした。それが6月で、9月に誕生日で90歳になられて、12月に亡くなられました。
 
そのときも体調は決して良くは無かったんですね。そのカーネル・サンダースが私たちの静止を無視するように、コンベンション会場で熱狂する若い店舗社員たちと握手をし続けたのです。そしてその後私たちへ言った言葉が「Every shake I make brings us dollars.」だと。要するに「この一つ一つの握手、これがおれたちのビジネスの基本で、これがなかったら、どんなうまいこといっても、どんな金をつかっても、うまくいかないんだよ」ということを言ったんですね。こういう彼の行動がまさにチェーンに「魂を入れた」と言いますか、ブランド再興につながったんです。KFCではこういうことを後に「ピープルズビジネス」と表現するようになりました。要するに事業を推し進める上で人が果たす役割は、単なる理屈を超えてすごいんだということですね。

 

■ペプシ・コーラについて

*ビッグ・アイデア・新結合による創造的破壊

                    ・・・ロジャー・エンリコ/ペプシ・コーラ 

一方で理屈の強い会社というのがペプシだったんですね。私が入った時も本当に超エリート集団という言葉が適当だと思うんですけれども、マッキンゼーやP&G出身者に代表される優秀な人たちがいっぱいいました。
 
そんな中から選ばれたロジャー・エンリコという若い、彼は歳は私と実は同じで、初めて会った当時42歳と若かったわけですね。このロジャーが30代で社長になって、ドン・ケンドールという有名な会長が彼を選んだんですけれども、彼がやったこと、これが、マイケル・ジャクソンをブランド戦略の中心に持ってくる事でした。今考えればミュージックマーケティングというのは当たり前なんですけれども、当時そんなことやった会社はなかったわけで、しかも500万ドルもの予算をTVCMに投入して。
 
実際この最初のTVCMの撮影のときに、マイケルの髪の毛に火が付いてしまうという有名な事故が起こります。先日マイケルが亡くなった時にも、そのビデオが再び公開されましたれども。のちに彼はいろんな皮膚の問題が起こったきっかけはこれだと言われています。
 
話を戻しますとマイケル・ジャクソンについては、その後はいろいろ言われましたけれども、当時はまさにキング・オブ・ポップとしての全盛期のはじまりで、その後も音楽のあらゆるジャンルの中でもあれだけ多くの人々を動員したり、当時はちょうど端境期にあったLPやCDをあれだけ売ったりした人はいないわけです。そして亡くなった時に公開された「This is it.」が世界的に再び大きな反響と感動を生んだわけです。このマイケル・ジャクソンをロジャーはペプシのブランド戦略の中核に据えたのです。
 
考え方はすごく単純で「たかが砂糖水を売るのに理屈はいらない」と。確かにこの時代に、世界中の若者を一番熱狂させていたのはマイケル・ジャクソン。彼を起用して、彼の音楽とペプシのイメージを一緒にすることによって、ブランドを飛躍させる。
 
たまたまその頃コカ・コーラが原液のフォーミュラを変更するという大失態を起こします。ダイエット・コークの開発過程で出来たニューフォーミュラは、15万人の味覚調査で確認され、導入されたにもかかわらず全米で不買運動が起こるほどの不評を招き、最終的に以前のフォーミュラに戻すという事件が起こります。
 
このコークの大失態にマイケルのキャンペーンが追い打ちをかけて、ついに創業以来の悲願であった「ペプシのマーケット・シェアがコークを凌駕してナンバーワンになる」という劇的な勝利を実現できたのです。
日頃ロジャーは「ビッグ・アイデアは何処にある?」という表現を好んで使いました。しかしこのビッグ・アイデアは、実は優秀な幹部が、膨大な分析作業と緻密かつ斬新なアイデアに沿って作られた戦略計画書に裏打ちされていたのです。ビッグ・アイデアと戦略的計画の策定はペプシでの大きな学びとなりました。
 

■ナイキについて

*消費者・社員との感情的な絆の構築

                          ・・・フィル・ナイト/ナイキ

フィル・ナイトはナイキの創業者社長です。そして彼の成功のインスピレーションは日本だったんです。
 
オレゴン大学ユージーンのキャンパスで、彼は中距離ランナーとして陸上競技をやっていました。その後スタンフォード大学のMBAに行き、彼の卒論のテーマが、「今後、低価格高技術の日本製品が米国のアスレティック・シューズ市場を席巻する、ドイツ製のシューズに取って代わるだろう」でした。
 
このイメージは、米国カメラ市場でキヤノンがライカを駆逐したように、日本製のスポーツ・シューズがドイツ製の、プーマとかアディダスを駆逐するといったことです。
 
フィルはこのあと直ぐに来日し、オニツカ・タイガー(後のアシックス)の鬼塚社長に会い、最初の200足を皮切りに「タイガーシューズ」を米国市場で売るというのが彼のこの事業を始めるきっかけなんですね。その後業容の拡大に反してアシックスとの関係は悪化、72年独立して「ナイキ」というブランドが誕生します。
 
1989年のJUST DO IT.(JDI)キャンペーンの大成功は、ナイキというブランドと消費者との間に、スポーツ選手や実践者の感動を共有させる「感情的な絆(Emotional tie)」の確立の賜物でした。
 
そしてマイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズに代表されるJDI精神の具現者との対話とそれに伴うすべての舞台回しはフィル・ナイト自らが行ったのです。1993年にナイキ・ジャパンの社長に就任した私にとって、このJDI精神の理解と消費者とそして社員との「感情的な絆」の確保が最大の挑戦であり、そして最も大切な学びでした。
 

■LVMHについて

*創造的な情熱と規模の経済・規模の不経済

                      ・・・ベルナール・アルノー/LVMH

その後11年を過ごした会社、ゲランの親会社はLVMHで、この総帥がベルナール・アルノーです。
 
実はこの会社は1987年に設立されました。しかし傘下の60余のブランドは古いものが多いのです。たとえばシャトー・イケムというワインは、1539年創業ですから、そういう会社がいっぱいあるんですね。ゲランも1828年、ルイ・ヴィトンが1854年ですから。そういう古いブランドを束ねた、400くらいの会社を束ねています。ここにリストがありますけれども、これだけ大きな会社とブランドを持っているわけです。
 

  
モエ・シャンドンとか高級シャンパンの代表格ドン・ペリニオンも有名ですね、クルッグも。宝石ではショーメやフレッドといったところですね。時計もあります、ゼニスとかタグ・ホイヤーとか。このあたりが「ブランド帝国」といわれる所以ですね。
 
皆さんのご興味は「なぜ」こういうことを、そして「どうやって」ということなんだと思います。LVMH、いやアルノーのこだわりの一つが「創造的な情熱」ということなんです。つまり組織の創造性が事業展開の中で最も大切なのだと、大事なんだと、そしてそのためには組織を大きくしてはいけない、ということですね。
 
日本では大企業と中小企業といった対比が一般的で、常に大企業が優位と考えられがちです。しかし私は日頃から「小さくて何が悪い」と考えています。1996年にパリで開かれたLVMHグループのコンベンションでのテーマが「Small is beautiful」でした。そして40年以上も前に読んで個人的に感銘を受けた、経済学者E.F.シューマッハの有名な本が「スモール・イズ・ビューティフル」(小島慶三・酒井懋訳、講談社学術文庫)だったんですね。

要するに事業活動の中でブランド戦略、マーケティング、あるいは営業という活動には組織が小さいほうが創造性や機動性が発揮しやすいので良いと。
 
ただし人事、人材の採用、不動産物件、立地の交渉、IT関連、サプライチェーン、広告媒体の購入・交渉、PRそして財務戦略やM&A、大きいほうがいいのはこういう分野なのだという考え方です。
 
これらの管理部門は大きくまとめておいて、そして頭を別々に小さくする。八岐大蛇どころじゃない、60のヘッドを持つ組織。実はLVMHでは社長と名が付く人たちは400人くらいいました。LVMH Great Four Hundredsとか言われて、ぼくらもそうおだてられていたわけですね。結構働かされましたけれども、そういう考え方を徹底することによって、大帝国を維持、発展させる事が出来たわけですね。
そういう中で私はゲランの社長をやらせていただいて、だいたい社員350人くらいの小さな組織だったんですけれども、11年の間に売り上げも2倍以上になって利益も、内部の情報ですが、すでに時効でしょうから申し上げますと、対売上に対して2割くらいのオペレーティング・インカムつまり税引き前の利益を出していたという、そういう経営をやらせていただいたんですね。

(次号につづく)

 
 

秋元征紘(あきもとゆきひろ)

秋元征紘(あきもとゆきひろ)

・所属・役職
ジャイロ経営塾 代表
ワイ・エイ・パートナーズ株式会社 代表取締役

・略歴
上智大学経済学部卒業、シドニー大学経済学修士課程修了。
70年日本精工株式会社に入社。80年日本KFC株式会社に入社後、86年同社取締役、87年日本ペプシ・コーラ副社長、88年日本 KFC株式会社常務取締役。93年株式会社ナイキ・ジャパン代表取締役社長。95年ゲラン株式会社代表取締役社長、01年ゲランS.A.(パリ本社)執行役員、 05年ゲラン株式会社会長を歴任。現在、ワイ・エイ・パートナーズ株式会社代表取締役。

・著書・訳書など

『一流の人たちがやっているシンプルな習慣』(フォレスト出版、2010年)

『こうして私は外資4社のトップになった』(東洋経済新報社、2009年)

『「ジャイロ経営」が社員のやる気に火をつける-パッションカンパニー-』(ファーストプレス、2008年)
秋元征紘ブログ http://akimoto.livedoor.biz/archives/51498215.html
ジャイロ経営塾HP http://www.gyrokeieijuku.com/

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